はるか昔、神々がつくり出した最初の島という伝説が残る。
今もなお自然のままの姿を残し、知られざる海の楽園として、
訪れる人を魅了している。













































































































































沼島海水場
神秘の島「沼島」の名にふさわしく、その海水浴場も
美しく、どこか神秘的な雰囲気だ。その水の美しさは、
南国の楽園に来たかのような錯覚さえ覚える。


イザナギ、イザナミの二神

天の浮橋より沼矛を海に下ろし、
塩をかきならし引き上げたるところ、
矛の先より

滴り落ちる塩重なり積もりて
島となる。
これおのころ島なり。
日本最古の文献「古事記」より。



上立神岩
沼島の海岸線には奇岩や岩礁が多く
見られるが、そのなかでも、そびえたつ
高さ約30メートルの上立神岩は圧巻で
ある。竜宮の表門とも呼ばれる何とも
神秘的な岩だ。


沼島の玄関口
平成15年7月完成


 おのころ神社
小高い山の上、まるで天に届くか
のようなまっすぐな階段を上ると、
おのころ神社に到着する。
この山全体が、「おのころさん」と
呼ばれる神体山だ。天地創造の
神である イザナギ、イザナミの
二神を祀っている。


八幡神社の森


沼島庭園 (伊藤邸の庭)
室町時代に10代将軍足利義稙によって
つくられたという説が一般的に通ってい
るが、作庭手法や歴史的考察から見て、
江戸時代初期ではないかという説もあ
る。沼島の特徴である緑色片岩を利用
し、地層を生かして作庭している力強さ
あふれる石組の庭だ。


鞘型褶曲
平成6年に発見されためずらしい岩石
である。このような同心円構造の鞘型
褶曲は、この他にフランスで1ヵ所発見
されているだけで、当時の地殻内部の
動きがわかる世界的にも貴重な資料
となっている。歩いて見に行くには案
内人が必要。


沼島遊歩道




沼島八十八ヵ所
第一番



梶原五輪石 (梶原景時の墓)
松香石という特殊な石でつくられている。
古くから梶原景時の墓と伝えられており、
この塔の造立年代も鎌倉前期のものと
見られている

南淡町役場商工観光・環境課が作成の
「南淡まるごとガイド」より抜粋しました

沼島について

  沼島は小代などと違って、古くから中央の文献にその名をとどめていた。{有名な万葉集の歌に「あかときに、
かじのときこゆみけつくに、ぬじまのあまの 舟にしあるらし」
などの歌はとくに名高い。}のように万葉や古今
の歌人はすでにその名を知っており、太平記には後醍醐天皇の一ノ宮尊良親王の御息所が松浦の海賊船に乗
せられて、この沼島に漂着し、三年の間滞在して沼島女郎の伝説を残して去る。

  南北朝時代には紀州、瀬戸内の水軍と手をにぎり、この島で兵船二百隻をととのえた事がある。
天正年間に梶原秀景の時代に細川、三好氏の末のころ沼島の梶原氏も亡び、秀景は沼島の「殿のとび」から
馬上で入水したという。

  太閤秀吉が畿内を統一したころ、海賊衆は漁師の正業に就かされて、一部は回船業をいとなみ、室町、江戸
時代を通じて遠く対州や五島までの遠洋漁業にはげんだ。 又一般の漁師は阿波蜂須賀公の下にあって、殿様
が参勤交代などで江戸へ上るなどのさい安宅ご用の加子として徴せられ、毎年百四十三人が浦役として沼島の
海で漁をし、他国へ出稼ぎにでることを禁じられていた。この代り沼島の五里四方の海は、沼島の海として与え、
他国の漁師に優先する権利をあたえられていた。

沼島を代表する漁業の一つに鱧なわ漁がある。嘉永元年には沼島に七十一隻のはもはえなわ組があった。

土佐日記と沼島・・・土佐日記は延長八年(九三〇)から承平五年(九三五)任地土佐にいた紀ノ貫之が、任期を
おえて京にのぼった、海路のいろいろの出来事を日記として誌したもので、紀行文のはじまりとして有名なもの。
この土佐日記の中に一月(旧暦)の末に沼島の沖を通るもようが次のように誌されている。

「三十日西風吹かず、海賊は夜歩きさせるなりとききて、夜半ばかりに船をいだして阿波の
水門をわたる。夜半なれば西東も見えず、男女からく神仏を祈りて、この水門をわたりぬ。
寅卯(五時頃)の時許りに沼島というところをすぎて和泉の灘というところに至りぬ今日海に
波に似たるものなし、神仏の恵蒙むるに似たり。今日舟にのりし日より数うれば三十日余り
九日になりにけり、今は和泉のくにに来ぬれば海賊物ならず。」


「沼島物語」より

              今後少しずつ増やしていきたいと思っています。


[ 沼 島 の 春 ]


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