神  宮  寺


 真言宗の寺院であり、元慶4年(880)の開基といわれている。

 梶原氏の菩提寺でもあったので、厨子、紺紙金泥経、曼荼羅など
数々の宝物は梶原氏の寄進と伝える。

 本堂の裏の庭園も有名。

 左隅に楠木正成の家臣といわれる島人、
本田徳郎左衛門丞の墓所がある。







尊勝法曼荼羅

=兵庫県指定文化財(絵画) 昭和52年3月29日指定=

所在地:南淡町沼島中区 管理者:神宮寺 

  画面を二等分し、上部に尊勝曼荼羅、下部に法華曼荼羅をえがき、
各尊を種子(しゅじ)であらわす種子曼荼羅である。

 尊勝曼荼羅は、尊勝仏頂曼荼羅ともいい、大円輪中の中央円内に
金剛界大日如来、まわりの小円内に八仏頂をめぐらし、大円の上方
左右におのおのの雲に乗る首蛇会天の三童子を、左下に不動明王、
右下に降三世明王を配する。

 法華曼荼羅は、胎蔵界曼荼羅中台八葉院に似て、八葉の蓮華の
小円内に八菩薩、四隅に釈迦四大弟子を置き、さらに第二重目の区
画には四供養菩薩・四摂菩薩、第三重には四隅に四大明王を、その
間に天部諸尊を配する。

 尊勝曼荼羅は、尊勝法を修するときに本尊として用いられるもので、
滅罪・延命・出産・祈雨など息災増益(そうやく)を目的とし、法華曼荼
羅で息災を祈って法華経法の修行を行う際の本尊であるから、その
目的に応じて併用されたものであろう。

 力強い種子の筆致、調和のとれた美しい
色彩の配合、精緻な截金文など、全体として
引き締まった画面を構成している。

 鎌倉時代後期の秀作ということができるで
あろう。


絹本著色 縦81.8cm

  横34.0cm

(写真提供 兵庫県立歴史博物館)




紺紙金銀字入大乗論(にゅうだいじょうろん) 2巻

=兵庫県指定文化財(書跡) 昭和55年3月25日指定=

所在地:南淡町沼島中区 管理者:神宮寺

  「入大乗論」はインドの堅意菩薩の作で、中国北京の道泰等が437
〜439年の頃に訳出した大乗仏教の簡単な概説書である。

 教巻は上下二巻からなり、紺紙に金字・銀字で一行ごと交互に経文
を書写する紺紙金銀交書経と呼ばれるもの。

 奥州藤原氏の初代・清衡の発願により書写された一切経、もと五千
三百巻余りのうちの二巻と考えられる。これらは、大治元年(1126)に
中尊寺建立供養に際して奉納され、中尊寺経の名でよく知られ、その
多くは桃山時代に高野山に移されたが、神宮寺への伝来については
詳しいことはわからない。

 平安時代、宮廷貴族らが写経の功徳や作善と同時に、その料紙装飾
の華美を競い合い、見返し絵などに高い芸術性を備える装飾経が盛ん
に製作された。

 本経巻は上下巻とも表紙は華麗な宝相華唐草、見返しには釈迦の霊
鷲山での説法図がそれぞれ金銀泥で描かれている。この見返し絵は上
下巻で画風が違い、巻上のものが格段に優れたできばえで、平安仏画
の典雅な趣をよく伝え、この時代の貴族階級の信仰と美意識の結びつき
の深さを実感させられる。  

  (写真提供 兵庫県立歴史博物館)













神宮寺庭園

所在地:南淡町沼島  管理者:神宮寺

作庭時代:江戸時代初期 築山式枯山水庭園

 本庭は沼島八幡宮との境の傾斜地を利用し、また、斜面の岩盤も生か
して構成された庭園である。

 庭園構成の細部の手法をみていくと、まず築山上部の中心に見事な
二石組がある。
高さ125cm・104cmの形の似た二石を組み合わせたものである。

 このように、高さも形も同じような石材を並べて組むというのはなかなか
勇気のいる組み方であるが、これが実に見事に力強く組んでいるのには
驚く。これは蓬莱石でもあり、遠山石を兼ねた築山中心石といえよう。

 その右方、約2.8mの高さに枯滝を組んでいるが、この石組は本庭最大
の見どころである。板状の緑色片岩を「人字」形に組み、それを受けてまた
傾斜させて人字形に組むという手法で、それは力学的にも道理にかない、
安定した美しさと、力強さのあふれる造形を形成している。

 傾斜を利用した築山の土留めも兼ねる護岸石組の中で、左端に組まれた
三尊石組は石材は大きくないがこの組み方も実に見事な実用と美を兼ね備
えた石組である。

 長年の風雪に石の崩れが若干見られるが、重点的な石組は今日まで
保存され、作庭当時の石組がほぼ見られることはありがたい。当代稀に
見る斜石を駆使した石組として、日本庭園史上においても価値の大きい
一庭と言えるだろう