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周遊で右回り(時計回り)を 男周り ・ 左回り(逆時計回り)を 女周り と言う ! ! |
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沼島の一番北側に位置する場所です。 鞘 型 褶 曲
( さやがたしゅうきょく ) 平成6年に発見されためずらしい岩石である。
このような同心円構造の鞘型褶曲は、この他にフランスで1ヵ所発見さ
れているだけで、当時の地殻内部の動きがわかる世界的にも貴重な
資料となっている。歩いて見に行くには案内人が必要。
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A
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きれいな砂浜の薬師浦で沼島の七浦のひとつです。
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B
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天正9年(1581)梶原秀景、阿波の三好勢の攻撃を受けて、
沼島浦、馬に乗ったまま、この断崖から入水して最後をとげた
ところから、この名が付けられました。そして、梶原氏200年
の治世終わる。 この岩に耳を近づけると馬の啼き声が聞こえると言
われております。
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C
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「バエ」とは岩のことを表しています。この猩々バエの他に大バエ・平
バエ・観音バエ・孝行バエなどの色々な形をした岩が有ります。その
中でもこの猩々バエは人間に一番近い姿をしていると言われており
ますが、実際は中国の生き物で顔は人間、声は子供、手足は長く紅
色でオラウータンに似た生き物だったようです。
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D
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名前の通り、バエ(岩)が海面に出ているものや海中にある岩もあり沖
に向かって続いております。ツヅキバエを過ぎようとしておりますと右側
前方に沼島のシンボルの「上立神岩」が見えてきます。
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E
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「矛先」のような形をした岩が沼島のシンボルの上立神岩です。
高さ30mで国生み神話の「天の御柱」とも言われております。イザ
ナギ、イザナミの神がおのころ島におり立ち入られイザナギが左より
、イザナミは右より上立神岩の前にある「ゆるきバエ」で夫婦になろう
としたところ、その営みの法を知らなかったことに気づきました。する
とどこからか二羽のセキレイが舞い降り、近くの岩にとまり尾をゆさぶ
って男神・女神に夫婦の道を悟したというお話しは今でも語り伝えられ
ています。また上立神岩は竜宮城の表門にあたると「和漢三才図会」
にも書かれており、その神秘的な姿は私達を古代の国へタイムスリッ
プさせてくれそうです。
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F
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磯釣りをする人にとっては絶好の穴場だと言われています。
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G
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淡路八景の1つとされています。カブトの形に見えるところから
「カブト岩」又は「エボシ岩」と呼ばれるようになりました。
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H
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海に浮かんでいる様に見えます巨石は長さ90mの「平バエ」と呼
ばれる岩礁で岸より110m離れ、ご覧頂きましてもわかります様に
「千畳敷」ともいわれ、旧暦の3月3日には地元の漁師が漁船を出
して海上安全と、そして大漁を願い、「おのころ祭り」が行われます。
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I
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磯釣りをする人にとっては絶好の穴場だと言われています。
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J
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高さ150mの「屏風岩」です。別名「金華岩」または「仏堂」と呼ばれ
ています。その断崖の下にある洞穴が穴口で深さ50m余りあります。
思わず中に入って行きたくなる程の一大景観です。
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K
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上立神岩と共に「天の御柱」とされている高さ18mの下立神岩です。
昔は上立神岩よりも高かったのですが、 1854年・安政元年に大
地震が起こり、真ん中から折れ、岩が重なり大きな穴のある形に変
わったのですが、その後、昭和9年の室戸台風で上半分が崩壊し
現在の形となりました。
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L
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この辺一帯、時には海全体がエメラルドグリーンになり、
その名も「青磯」又は「青石」とも呼ばれています。
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M
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千手観音が現れたところから「観音バエ」と呼ばれています。今では
観音寺に安置されております。
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N
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大正10年頃までは海がめがこの浜に来て産卵しておりました。
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O
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昔の「大水の浦」と「ぞうせんしょ」を埋め立てて新しく整備された海水
浴場です。脱衣所・シャワー・トイレが完備されています。夏場は管理
人もいます。そして、西側となります奥の方ですがバベキュー利用が可
能敷地があります。
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写真の写り具合の違い等につきましては季節と天候の違いによるものです。 m(_ _)m
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